各務原アルプス山行記 2010/01/04 Y.H

種別 個人山行  目的 新春の親睦ハイキング
山名 各務原アルプス(明王山、金比羅山、大岩、迫間山、城山)
山域 美濃関(1/25000地形図)
日程 2010年1月4日(月曜日)
天候 晴れ 
メンバー CL M野 SL K藤 M田 K柳 A井h H尾s H尾j T田 O本 I藤m Y井 Y本 S木 S水
計14名

行程
[名鉄金山]8:08+++8:52[新鵜沼]9:08=9:25[うぬまの森前BS]9:30・・・11:00[明王山(383m)]・・・
[金比羅山]・・・[林道石碑]・・・[東屋]・・・[峠の辻]・・・13:01[大岩展望台]13:20・・・[峠の辻]・・・
14:17[迫間山(309m)城跡]・・・ [うぬまの森分岐]・・・14:21[城山(265m)猿啄城]・・・[登山口]・・・
16:18[JR坂祝]16:34+++[流れ解散]


昨年8月19日の富士登山から4ヵ月半山行をご無沙汰だ。いまだ右ひざの痛みが取れないので随分迷ってから参加を決めた。山行を休んでいる間もY本さんから何度も様子伺いと、山行のお誘いをいただいた。

昨年12月末久しく覗いていなかった例会にも顔を出した。例会の数日前あつたのホームページを見たらM野さん主催の「1月4日各務原アルプス新春親睦ハイキング」の募集があったので、M野さんに計画書を見せていただこうと思い出かけた。「各務原アルプス」がどんなところだかネットで調べても良くわからなかったのでお伺いしようと考えてのことだ。だがあいにくM野さんはこの日の例会を休んでおられたので、帰ってからメールで問い合わせた。すぐに返事があり、郵送で計画書が届いた。コースの下調べを念入りにしたが、不安の方がより増してしまい参加の決心が付かなくなった。

ぐずぐずしているうちに年が明けた。3日朝、S木さんからいただいた年賀状に、ご自身も「右ひざが悪いけれど1週間に一度のペースで日帰り山行をしているので一緒に出かけましょう」とあった。M野さんが峠蕗印刷のお手伝いをされた時、「膝が悪いのは私も同じよ。痛みとうまく付き合いながら山行に行かないと筋力が衰えてしまいますよ。元気を出していきましょう。そんな人にも合う山行計画を立てますから」という趣旨のお言葉をいただいたのだが、そのときはまだ気力が萎えていたので何か言い訳がましいことを言ってその場を逃れた。S木さんの年賀状で決心が付いた。すぐにM野さんに参加の意向を伝えた。直後Y本さんからお誘いの電話があったので、今参加の連絡をしたことを伝えたら、大変喜んでくれた。山の仲間の心遣いが嬉しい。


公共交通機関利用と言うのもめったに無い山行だ。この日の参加者は、14名。M田さんとは初対面、M野さんにご紹介いただき、ご挨拶。以前あつたにご夫婦で入会し活躍しておられ、今回は再入会とのこと。名鉄とコミュニティバスを乗り継いで登山口にようやく到着。さあ、ビクビクどきどきの山行が始まった。できるだけ前の方を歩く。最初は緩やかな公園の遊歩道。左手方面には団地、分譲住宅が切れ間なく続く。まだ山歩きの雰囲気はない。それでも30分も歩くと山道らしくなってきた。最初の体温調整の休憩は鉄塔下だ。膝を守るためCWXのタイツも履いた。膝サポーターもしっかり巻いている。痛み止めの薬も飲んだ。出だしは大丈夫だ。北へ向かう道の左に金比羅山、その右に最初の目的の山、明王山が見えている。元日の雪が登山道脇にまだ融けず少し残っているが、お天気は快晴。泥濘はない。快適である。


今回女性が6名も参加しているので、賑やかである。久しぶりの参加の私以外の方にとっては、らくらく低山散歩なのだ。高齢者グループの中に混じり一人30代の若手であるS水さんが元気だ。話し声笑い声も大きく楽しくなる。タイトルどおり「新春の親睦ハイキング」そのものだ。


明王山(みょうおうさん)見晴台383mに着いて驚いた。素晴らしい展望が待っていた。山と言うより丘陵地帯といったほうが良いくらいの山並なのに、ここの眺望は、北から東へ北アルプス、御嶽山、中央アルプス、西には鈴鹿、伊吹山、養老多度山系、南は濃尾平野が、雄大に見渡せ、360°の大パノラマが、青空に輝いていた。山頂におられた地元のハイカーでしょうか?あの山が何、この山が何と懇切丁寧に説明をしてくださる。その説明を聞き、みな感心しきり。


要所ではM野さんの指示のもと地形図で現在地を確認。三角点のある金比羅山を通り、多賀坂林道の改修記念碑へ下り、さらに谷へ下ってから南北各コースの合流点である峠の辻まで登り返す。この日の最終目的地の大岩見晴台まであとわずかの登り。山行の間が空いた私にはかなりの運動量になった。汗をかなりかいてはいるが、まだ膝は大丈夫。スタートして3時間半、13時ちょうどに到着した大岩見晴台の展望の素晴らしさも変わらない。ここで居合わせた登山者に集合写真のシャッターをお願いした。(あつたHP画像掲示板にUP済み)

休憩を挟んで、峠の辻からは北コースをまわる。迫間山(はさまやま)309m山頂からは北方面の眺望が良い。迫間城跡とある。相変わらず青空である。気温もよく全員快調だ。下りになると膝が痛みだした。ストックが随分助けになった。少し遅れ気味になるが何とか付いていく。しかしこのコースはしばらくすると登りになるので助かる。適度なアップダウンが大いに歩きやすくしてくれた。M野さんのコース選びに感心&感謝である。

往きに通ったうぬまの森前BSへの分岐を右にやりすごし、「ふどうの森」の道から直進して猿啄城(さるばみじょう)のある城山へ向かう。猿啄城は再建された城ではなく物見櫓(展望台と呼ばれている)のようなものだった。ここで最後の休憩の後、下山だ。K藤さんからも膝の痛みとどうつき合うのかお話を伺った。それぞれに体力の衰えや、体調の不良とも上手に付き合って山歩きを楽しんでおられるようだ。


JRの坂祝(さかほぎ)駅までが長く感じられた。膝の問題より心の問題が浮き彫りになった。山歩きを楽しむには体調管理だけでなく人とのつながりの大事さを今更ながら学んだ山行だった。素晴らしい山歩きをさせていただいた事に感謝。見事な眺望とお天気に感謝。多くの方にお気遣いいただいた事に感謝。
合掌

概念図はこちら

【蛇足】猿啄城跡(史跡)
時代:室町時代あたり 所在地:坂祝町勝山934番地の1 築城年代は諸説があって確かなことは記せませんが、関市の龍泰寺文書にその開祖となった無極和尚が 「応永14年(1407年)猿啄城主を訪れた」とあるのが諸説の中では最古です。 戦国時代、西村、田原、多治見と城主の交代が激しかったのですが、永禄8年(1565年)8月織田信長の中濃攻略により 落城しました。城主は信長の家臣、川尻肥前守鎮吉がなりましたが、城はやがて廃城になりました。
今は僅かに石垣が残るだけで当時の様子はわかりません。
参照 http://www.town.sakahogi.gifu.jp/profile/bun_reki/index.html#bunka_rekisi13


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