ニホンツキノワグマ
小谷 哲治

実は、昨年の秋(正確には2004年10月10日)ニホンツキノワグマ(以後ツキノワグマと表す)に出合った…。それは日本三霊峰の1つ白山(2,702m)の南端の峰、銚子ヶ峰(1,810m)への登山口に向かう大杉林道での事だった。

岐阜県白鳥町の石徹白上在所(かみざいしょ)から清流石徹白川に沿う大杉林道を遡る。林道は幾重にも連なる山襞を次々と越え、徐々に標高を増していく。右側は切り立った山肌が迫り、左はV字谷が大きく口を開ける未舗装の道を、どれほど進んだのだろうか?

(写真は 「solmare.com」 のものです)

それは、初河谷を過ぎた辺りの小さな尾根を一つ右へ回り込んで、正面の視界がパッと開けた瞬間だった。林道の右の山裾辺りに何やら黒く、蠢く一塊の物体が目に入った。車との距離は約20m。一瞬「クマだ〜」と叫んだ。運転をしていたS.I.さんも、僅かに遅れて小さく叫んだ。しかし、その時にはクマはまだ私達の車には気付かず、私達に背を向けたままでいた。その後姿に、私の目は釘付けとなったままだ。その間も、私達の車はソロソロと前進していた。

その瞬間、クマは私達の車が小石を踏むその物音に気付いたのか、急に頭だけ振りかえるような形で私達の方を見つめた。突然の見知らぬ物体に、クマは驚いた様子で慌てて身体を翻し、右の急勾配の斜面をアッという間に駆け上がった。私達の車は更に前進を続け、クマとの距離は約10mと迫っていた。急斜面を駆け登ったクマは、10mほどのところで登るのを止め、後ろをぐるりと振り返った。驚いたことには、そのクマが駆け上がった跡を小さな黒い物がその後を追いかけたのだ。よく目を凝らしてみるとその小さな黒い物は何と!子グマであった。1匹、2匹そして3匹と小さく草叢が揺れ続けた。上から見下ろしていた親グマの許へ、子グマ達はすぐに辿り着いた。それから合流したクマ達は、振りかえることもなく樹林の奥へと姿を消した。

私達が出合ったのは、3匹の子グマを連れた母グマだったのである。正直に言って、クマ達との思ってもみない出合いに驚き、また興奮した。長い年月山を歩いてきて、様々な大小の動物達と出合ってきた。クマとの出合いも夢みたこともある。しかし、こうして現実に思いもかけなくクマとの遭遇を果たしたのである。しかしその後で強く後悔もした。ここは白山の麓、石徹白の奥である。当然この場所はクマ達のエリア(生息場所)である。子連れのクマ達が秋の暖かな日に、越冬の準備で忙しい最中、食料を拾いにきたのか、はたまたのんびりと散歩なのか、たまたま林道に降り立ったところを私達人間が自動車という恐ろしい乗り物で突然現れ、クマ達を驚かしてしまったのだ。侵入者は、当然私達人間なのである。クマ達が山里に現れた訳ではない。従って、クマ達には何の非も無いのである。そう思ったら、何だかクマ達の平穏な生活を突然侵してしまい、彼等に申し訳無い気持ちで一杯になった。また樹林の奥に消えた彼等のその後を考えると、更に心が傷んだ。

その年は、全国的にツキノワグマが山里に出没し、人に危害を与えるケースが多発した。

(写真は 「Eyes Pics」 のものです)

新聞などマスコミでは連日「クマ出没、人身被害」を報道したが、昨年の4月以降10月末までに全国で82件、95人の被害があったという。クマが山里に姿を境わす原因も様々な報告が相次いだ。その中で、まず第一の原因として、夏の猛暑と台風によるドングリの不作、つまりクマのエサ不足だ。クマの生息エリアにドングリなど食物が不足したという。

しかし、報道されたように、本当に夏の猛暑と相次ぐ台風がドングリ不足の原因なのだろうか?これについては少々疑問に思う。ニホンツキノワグマは、本州、四国、九州に生息する。北海道に生息する肉食のヒグマと比較されることが多く、ニホンツキノワグマは草食動物と思われがちだが、本来は肉食の動物である。魚、蟻、蜂、沢蟹、ヘビなどを食べる。しかし現実的には雑食で、木の実、特にプナやミズナラのドングリや甘い物(蜂蜜など)が大好物だ(食の好みは私と同じ)。冬眠前には、長い眠りに備えて飽食となるが、この時期には全くの草食となる。

それにしても、夏の猛暑で木の実がほんとうに不作になるものだろうか?昨年の暑い夏と同程度の気温の夏は、今までにも何度もあった筈。その時に木の実が不足して、クマが里に降りたのだろうか。これは甚だ疑問である。

そして昨年の夏以降特徴的なものに、台風の度重なる襲来があった。相次ぎ日本を急襲した台風のせいで、台風の通り道であった日本海側、特に北陸のドングリ類が強風によって実が熟す前に落とされてしまったというもの。確かに私達もクマとの遭遇のあと、銚子ヶ峰へ登ったとき、ブナやミズナラの林にドングリ類が異常に少なかったのを覚えている、この登山道を登ったことのある人は理解できるであろうが、このルートの尾根筋にはプナやミズナラの樹林がかなり長い距離連続するのである。例年なら、登山道がプナやミズナラのドングリでぴっしりとうめつくされる筈であるが、この時は数えるほどと表現してもいいほど少なかったのは事実であった。しかし、その異常なドングリの不足が台風の所為だけだとはとても信じられない。日本のブナやナラの木は、台風の襲来に対しては予想の範囲内で、その対策はすでにDNAに組み込まれており、台風が襲来する時期には実が小さくまた堅く、少々の強風では落下しないようにしっかりと柄に結合されており、熟さなければ柄から離れない様になっている。度重なる台風の来襲とはいえ、強風でドングリが壊滅的な被害にあったとは思えない。

そこで、ドングリ類の凶作は、ナラ枯病も含めて別の原因ではないだろうかと推測する。主な原因としては、降雪量(降雨量)の減少が挙げられる。日本全域の傾向だが、特に木の実の凶作が著しい北陸地方の降雪量の減少が顕著である。森の水分最低必要量の限界を越えてしまっているのではないだろうか。水分不足が、プナやミズナラなど樹木にストレスをあたえている。弱ったミズナラなどナラ類にナラ枯病などが発生すると考える。降雪量の減少については、今泉武栄氏(登山時報「不思議を発見する山歩き」の筆者)にもその指摘を受けた(氏は、鈴鹿山系のササ枯れについても降雪量の減少の可能性を指摘された)。

(写真は 「デジタル楽しみ村」 のものです)

クマが民家に居座るという異常行動についても、様々な見解が相次いだ。まず第一に多く報道されたのが、連続した台風の襲来による強風で、経験不足のクマ達に恐怖によるストレスによって異常行動を起こさせるという説だ。そして私も面食らったのが、クマの幼妻説。

栄養のある人間の残飯などを漁ったクマが早熟となり、若くして子供を産むという。この現象が続き、社会経験や子育てをする経験など未熟な幼妻のクマが、子グマを連れて山里へ出没するという、通常の親子グマでは考えられない異常行動を起すというもの(押し入った民家に居座ったりする)。幼妻の異常行動については、人間社会も同じだから如何にも信憑性がある。しかしこのクマの幼妻の異常行動については、真相は明らかではない。

無論、クマと人間との共生などということは到底考えられない。現在のところ、お互いのエリアを侵さない住み分けしか考えられない、クマによる人的被害も、ほとんどが「山菜採り」など人がクマの生息エリアに侵入した理由による訳である。現在では、「クマ」と言うだけで狂暴な害獣扱いである。ほかにもこのような種類の動植物は、たくさんある。例えばマムシ、スズメバチなど蜂類、イノシシ、毒キノコや、かぶれたりする草木など、人間にとって都合の悪い物はすべて同様である。このような事態は、人間のエゴとしか言いようがない。

この人間と動植物との関係は、今に始まったことではなさそうである。狩猟民の世界では人間と動物の関係は、食うか食われるかであり、人間が戦いに敗れて殺される場面もある訳である。これが農耕の文化になると、人間は動物を殺してもいいが動物は人間を殺してはいけないという人間中心のエゴイズムの文化をかってに作り上げ、いままでの狩猟民の食物連鎖の構図に人間を頂点に持ち上げてしまったのである。

クマが山里に出没しないために、様々手段も考えられた。ドングリの空中散布や捕獲グマにゴム弾や忌避(唐辛子入り)スプレーなどのお仕置き開放も行われているが、いずれも小手先の方法で、何ら基本的な解決策になっていない。

(写真は 「Eyes Pics」 のものです)

平成17年5月20日の中日新聞によると、地球の温暖化がこのまますすむと100年後には日本の平均気温が2〜3度上昇するという。この予測をした気象庁は更に、北陸地方の降雪量が現在の半分ほどに減少する可能性があると付け加えた。そして東京の平均気温も約2度上昇して、現在の鹿児島の平均気温に近くなるという。つまり東京の気候が、温帯から亜熱帯へ移行するということ(CO2など温室効果ガスの排出が高水準で続き、大気中のCO2濃度が年0.8%ずつ上昇することを前提とした予測)。

ただし地球の温暖化については、CO2だけの所為ではなく、太陽からの電磁波の異常という要因で雲の異常発生による地球の温暖化という説もあるから定かではない。いずれにせよ、現在の人間を含めた生命の環境を守らなければ、あらゆる生命に異常をきたすのは確実である。100年後と言わずとも、既に異常気象(氷河の溶解など)など警告サインは発せられている。

昨夏のようにクマが山里にたびたび現れるのも、その警告サインの1つと考えられる。それほど、私達が生活する地球の表面は、繊細で微妙な変化に敏感なのだといえる。

私はたぶん、このクマとの遭遇と言う出来事を一生忘れることができないであろう。あの林道で、クマが私達に気付き振り返ったとき、私とクマの目と目が合ったのである。瞬間ではあるが、私もクマの目を見つめた。その母グマの哀しげな顔を、今もまざまざと思い出すことができる。その後の慌て振りもである。クマの肢体は、単純に黒というよりは、やや紫がかった美しい漆黒の黒といったほうが正確だ。胸には、新雪の如き純白の月の輪。見事な肢体だった。

そして何より感動したのは、子連れの母グマの行動である、危険を察知した母グマは、大急ぎで斜面を駆け上がったが、俄かに降り返り、後を追いかける子グマの動向を見やった。子グマが自分の手許にやって来るまで、その場に立ちすくんだのである。そんなけなげな母グマの母性を、その時垣間見たような気がした。私はこの年齢になって初めて、クマも人間も「母」は偉大だと深く悟ったのである。

今も時々、私の夢枕にあの親子グマは現れるのである。それほど私の人生にとってあの出合いは衝撃だったのである。


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